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自然療法への転換(その1:転機) [自然療法]

その大きな転換へ向かうことになったのは、我が家の末っ子デューク(バーニー
ズマウンテンドッグ、男の子)のリンパ腫の治療を通して感じた疑問と 気付
き、と言えます。

そういう意味では、デュークが自然療法へ案内してくれたと思っています。

「デューク自然療法クリニック」の「デューク」は、もちろんこの子、我が家の
末っ子の名前からつけたものです。
「デューク自然療法クリニック」の前身は、「デューク動物病院」という名前
で、ごく普通の、いわゆる一般西洋医学の動物病院として1998年に誕 生し
ました。デューク8歳の年。

病院のロゴマークはデュークがモデル。

デューク本人も大人気でしたが、木で作ったロゴマークの看板も大人気で、共に
多くの人に愛され、親しまれ、私たちもとてもにうれしく幸せでした。

しかし、

2年後、デューク10歳の年、リンパ腫発症。
最も抗がん剤治療に反応する腫瘍。
当時得られる限りの情報の中で、最も有効で、かつデュークに与える苦痛は最小
限にとどめられるプロトコールを検討した。

治療効果や安全性の確率は、たとえどんなに高く見込めるといっても、決して
100%のものはない。
仮に、99%安全というものがあったとしても、1%の危険性は存在する、と
言っているわけだ。
そしてその1%の中に入ってしまうこともあるわけだ。

また、治療効果と安全性はイコールではない。
「治療効果は最大限に得られました。でも、死にました。」もあり得る、という
わけだ。

だから、決して安易に決断はしなかった。

まず、全身くまなく検査して、一つでも懸念要素があれば、実行しないというこ
と、そして、改善させられるものがあれば改善させてから再検査して、 その結
果その時点でまた検討するということ、を、絶対条件にした。
そして、全ての要素が一定基準を満たした状態であっても、最悪のことが起こら
ないとも限らないことを覚悟出来るかを、夫婦でよく話し合い、デュー クが少
しでも長く元気でいられる確率が高いことに賭けよう、という結論を出した。

徹底した体調管理とサポート体制の中で、抗がん剤治療に踏み切った。

その結果は、有頂天にもなりかねない程の良経過。
デューク本人が自覚するような副作用を防ぎつつ、完全寛解に至る。
とは言っても、もちろん我々獣医師はこれからが正念場であることも理解している。
1回目の完全寛解には成功しても、それは完治ではなく、必ず、「再燃」と言っ
て再び病状が表面化してくる。そしてその時再び抑え込める可能性は格 段に低
い、という統計的事実。そして、仮にその2回目の抑え込みに成功しても、次の
再燃はさらに早くやって来て、さらに反応性が悪くなっている。
そして、前に使った抗がん剤はすでに効かなくなっているので、違う種類、異な
る性質の抗がん剤の組み合わせを、救援プロトコールとして一歩も二歩 も先に
先に用意して常に臨戦態勢で気は抜けない。

ありがたいことに、しばらくの間、検査や触診等で分かる異常もなく、一般全身
状態も良好な日々を送り、ふと、ずっとこのまま再燃しないでいられる んじゃ
ないか?とさえ思ってしまうほどであったが、、、

再燃は避けられなかった。

ここで負けてなるものか!
精密に検査して、全身状態は良好、あらゆる数値が抗がん剤に耐えられると示し
ていた。

救援プロトコール、行くよ、デューク!

そして、ここでまた、完全寛解に成功!血液検査結果も良好!

だが、その直後に強烈な副作用発現。


「抑うつ」  「食欲廃絶」


数字には現れない副作用。
数字では予見できない副作用。
確かに、副作用として、「抑うつ」「食欲廃絶」の可能性があるのは理解してい
たが。。。


「抑うつ」「食欲廃絶」
この、たった何文字かだけで、いとも簡単に表現していることが、いかに、大き
な打撃を与えるか、、、

そして、それを救う薬はないのだ。

…抑うつ…
まるで死体のように、生気なく全身を投げ出して、横たわったまま、目もうつ
ろ、、、
呼びかけに頭を上げようともしない。

…食欲廃絶…
「低下」や「減退」ではなく、「廃絶」ということの重さ、、、


ああ、私は、なんということをしてしまったんだろう… 

…なんということをしてしまったんだろう…

…なんということをしてしまったんだろう…

ごめんね!デューク…

こうなってもいいなんて、私は思ったつもりは毛頭ないけど、でも、こうなる可
能性があることを選択したってことは、こうなってもいいと思ったと同 然だよね。
ひどいよね!
ごめんね!

覚悟だなんだって、それって、私たちのことだったね。
私たち、いったい何を覚悟したの?

デューク本人は、こうなる可能性があるって知ってたら、デューク自身でこの治
療を選択しただろうか?

こんな辛いめにあう可能性があってもデュークは選択した?

私がこんな辛いめにあわせたんだ。。。



このままでは死んでしまう…



この窮地を切り抜け、助けることが出来たのは、獣医師としての我々夫婦ではな
く、デュークの親としての我々夫婦の努力、介護看護でした。

ごめんね、デューク、、、こんな辛いめにあわせて、、、ごめんね。。。
私たちは詫びながら、泣きそうになりながら、なんとか食べさせられるように、
気持ちが遠くへ行かないように、寝たきりの体に二次的支障が出ないよ うに、
と、必死に努力しました。


その思いにデュークは応えてくれ、復活してくれました。


感謝と同時に、もう2度と抗がん剤は使わないと誓いました。


その後、更なる再燃を見ることなく、臨床症状、血液検査上も問題なく過ごすこ
とが出来ました。
生活に何か支障が出ることもありませんでした。

しかし、治癒力の衰退、急速に老いていくような、どこか現世を見ていないよう
な、妙な感覚がありました。

一緒にいるのに一緒にいないような、、、


そして、治療開始2年後、体重が最盛期の半分以下になったデューク12歳の
年、最期に私の目を見て、私の腕の中で、息を引き取りました。


一般西洋医学的評価、客観的冷静な評価で言えば、治療効果を期待するには不利
な条件(
大型犬それも超大型に近い大きさ、オス、)の中で、治療成績としては快挙と言
えました。

年齢的にも、何もなくても、超大型犬なら12歳は十分長く生きてくれたとも言
えるでしょう。

しかし、私たちが痛感したのは、「これは治療ではない。治しているのではない
のだ。」でした。

そして、副作用の苦しみは、数字では示すことができないし、何より本人がどう
感じるか、どう受け止めるかにかかっていることであって、確率の問題 ではな
い、ということでした。

そう、本人がその苦しみを覚悟できるのか、そこに価値を見出せるのか?



または、戦争に例えるのもいいかもしれない。。。


戦いには勝ったことになるかもしれないけれど、

敵は死んだけれど、味方も死んだ、、、

そもそもこの戦いに意味はあったのだろうか、、、

ずっと正しいと信じてきたけれど、、、




リンパ腫になるもっと以前にも、2回、大きな危機がありました。

1回目は、悪性黒色腫。
これは早期発見と、発生部位が体幹部であったおかげで、表面に見える腫瘍塊の
3倍ほどもあった腫瘍根も完全に、かなり大きくマージンをとって切除 するこ
とができ、周囲組織への浸潤を残さず、遠隔への転移もなく、その時は、一般西
洋医学的には治ったことになりました。

2回目は、胃捻転。
注意出来ることはすべて注意していても、起きるときは起きるんだ、と、その時
思いました。
デュークの異状にすぐ気が付くことが出来るタイミングであったおかげで、即手
術することができ、この時も助かりました。

ここまでは、一般西洋医学上、治していると思っていました。(今ではもう、そ
うは考えませんが。)

でも3回目は、「決して治しているわけではない治療法(それなのに「治療」と
呼ぶ事実)」しかない病気が用意されていました。

しかし、そのおかげで、一般西洋医学そのものに対する疑問と気付きを得ること
が出来たのでした。


決して治してはいないんだ。

それなのに、「治療」という言葉を使っている。

治療って、何?

生きているって、どういうことかな。。。

いわゆる「QOL(クオリティ オブ ライフ)」という視点の大切さは当然のこ
とで、特筆することもないのですが、もっと、違う、「生きている、 というこ
とを大切にする、ということはどういうことかな?」とでも言えばいいでしょう
か。。。

QOLの視点は最低限必要です。

でも、足りない、それだけじゃ足りない。。。

生きている意味、生き方、の視点。
生き方を選択する権利。

何か違う、何かがあるはずだ。

何か、絶対に苦しめないもの、、、


生きている価値は時間の長さじゃない。

生き方なんだ、どのように生きるか、、、

生き方を選択するということ。。。


何かある、何かある、、、


ここから、一気に世界が変わっていくことになりました。


ずっとずっと、いつか伝えたいと思っていたことでもあります。
長くなると思われますので、今回は、ここまでで、自然療法への転換「その1:
転機編」として、一度区切ります。

では、つづく、ということで。。。

※この記事は、デューク自然療法クリニックのホームページと同時掲載のものです。


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