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自然療法への転換(その1:転機) [自然療法]

その大きな転換へ向かうことになったのは、我が家の末っ子デューク(バーニー
ズマウンテンドッグ、男の子)のリンパ腫の治療を通して感じた疑問と 気付
き、と言えます。

そういう意味では、デュークが自然療法へ案内してくれたと思っています。

「デューク自然療法クリニック」の「デューク」は、もちろんこの子、我が家の
末っ子の名前からつけたものです。
「デューク自然療法クリニック」の前身は、「デューク動物病院」という名前
で、ごく普通の、いわゆる一般西洋医学の動物病院として1998年に誕 生し
ました。デューク8歳の年。

病院のロゴマークはデュークがモデル。

デューク本人も大人気でしたが、木で作ったロゴマークの看板も大人気で、共に
多くの人に愛され、親しまれ、私たちもとてもにうれしく幸せでした。

しかし、

2年後、デューク10歳の年、リンパ腫発症。
最も抗がん剤治療に反応する腫瘍。
当時得られる限りの情報の中で、最も有効で、かつデュークに与える苦痛は最小
限にとどめられるプロトコールを検討した。

治療効果や安全性の確率は、たとえどんなに高く見込めるといっても、決して
100%のものはない。
仮に、99%安全というものがあったとしても、1%の危険性は存在する、と
言っているわけだ。
そしてその1%の中に入ってしまうこともあるわけだ。

また、治療効果と安全性はイコールではない。
「治療効果は最大限に得られました。でも、死にました。」もあり得る、という
わけだ。

だから、決して安易に決断はしなかった。

まず、全身くまなく検査して、一つでも懸念要素があれば、実行しないというこ
と、そして、改善させられるものがあれば改善させてから再検査して、 その結
果その時点でまた検討するということ、を、絶対条件にした。
そして、全ての要素が一定基準を満たした状態であっても、最悪のことが起こら
ないとも限らないことを覚悟出来るかを、夫婦でよく話し合い、デュー クが少
しでも長く元気でいられる確率が高いことに賭けよう、という結論を出した。

徹底した体調管理とサポート体制の中で、抗がん剤治療に踏み切った。

その結果は、有頂天にもなりかねない程の良経過。
デューク本人が自覚するような副作用を防ぎつつ、完全寛解に至る。
とは言っても、もちろん我々獣医師はこれからが正念場であることも理解している。
1回目の完全寛解には成功しても、それは完治ではなく、必ず、「再燃」と言っ
て再び病状が表面化してくる。そしてその時再び抑え込める可能性は格 段に低
い、という統計的事実。そして、仮にその2回目の抑え込みに成功しても、次の
再燃はさらに早くやって来て、さらに反応性が悪くなっている。
そして、前に使った抗がん剤はすでに効かなくなっているので、違う種類、異な
る性質の抗がん剤の組み合わせを、救援プロトコールとして一歩も二歩 も先に
先に用意して常に臨戦態勢で気は抜けない。

ありがたいことに、しばらくの間、検査や触診等で分かる異常もなく、一般全身
状態も良好な日々を送り、ふと、ずっとこのまま再燃しないでいられる んじゃ
ないか?とさえ思ってしまうほどであったが、、、

再燃は避けられなかった。

ここで負けてなるものか!
精密に検査して、全身状態は良好、あらゆる数値が抗がん剤に耐えられると示し
ていた。

救援プロトコール、行くよ、デューク!

そして、ここでまた、完全寛解に成功!血液検査結果も良好!

だが、その直後に強烈な副作用発現。


「抑うつ」  「食欲廃絶」


数字には現れない副作用。
数字では予見できない副作用。
確かに、副作用として、「抑うつ」「食欲廃絶」の可能性があるのは理解してい
たが。。。


「抑うつ」「食欲廃絶」
この、たった何文字かだけで、いとも簡単に表現していることが、いかに、大き
な打撃を与えるか、、、

そして、それを救う薬はないのだ。

…抑うつ…
まるで死体のように、生気なく全身を投げ出して、横たわったまま、目もうつ
ろ、、、
呼びかけに頭を上げようともしない。

…食欲廃絶…
「低下」や「減退」ではなく、「廃絶」ということの重さ、、、


ああ、私は、なんということをしてしまったんだろう… 

…なんということをしてしまったんだろう…

…なんということをしてしまったんだろう…

ごめんね!デューク…

こうなってもいいなんて、私は思ったつもりは毛頭ないけど、でも、こうなる可
能性があることを選択したってことは、こうなってもいいと思ったと同 然だよね。
ひどいよね!
ごめんね!

覚悟だなんだって、それって、私たちのことだったね。
私たち、いったい何を覚悟したの?

デューク本人は、こうなる可能性があるって知ってたら、デューク自身でこの治
療を選択しただろうか?

こんな辛いめにあう可能性があってもデュークは選択した?

私がこんな辛いめにあわせたんだ。。。



このままでは死んでしまう…



この窮地を切り抜け、助けることが出来たのは、獣医師としての我々夫婦ではな
く、デュークの親としての我々夫婦の努力、介護看護でした。

ごめんね、デューク、、、こんな辛いめにあわせて、、、ごめんね。。。
私たちは詫びながら、泣きそうになりながら、なんとか食べさせられるように、
気持ちが遠くへ行かないように、寝たきりの体に二次的支障が出ないよ うに、
と、必死に努力しました。


その思いにデュークは応えてくれ、復活してくれました。


感謝と同時に、もう2度と抗がん剤は使わないと誓いました。


その後、更なる再燃を見ることなく、臨床症状、血液検査上も問題なく過ごすこ
とが出来ました。
生活に何か支障が出ることもありませんでした。

しかし、治癒力の衰退、急速に老いていくような、どこか現世を見ていないよう
な、妙な感覚がありました。

一緒にいるのに一緒にいないような、、、


そして、治療開始2年後、体重が最盛期の半分以下になったデューク12歳の
年、最期に私の目を見て、私の腕の中で、息を引き取りました。


一般西洋医学的評価、客観的冷静な評価で言えば、治療効果を期待するには不利
な条件(
大型犬それも超大型に近い大きさ、オス、)の中で、治療成績としては快挙と言
えました。

年齢的にも、何もなくても、超大型犬なら12歳は十分長く生きてくれたとも言
えるでしょう。

しかし、私たちが痛感したのは、「これは治療ではない。治しているのではない
のだ。」でした。

そして、副作用の苦しみは、数字では示すことができないし、何より本人がどう
感じるか、どう受け止めるかにかかっていることであって、確率の問題 ではな
い、ということでした。

そう、本人がその苦しみを覚悟できるのか、そこに価値を見出せるのか?



または、戦争に例えるのもいいかもしれない。。。


戦いには勝ったことになるかもしれないけれど、

敵は死んだけれど、味方も死んだ、、、

そもそもこの戦いに意味はあったのだろうか、、、

ずっと正しいと信じてきたけれど、、、




リンパ腫になるもっと以前にも、2回、大きな危機がありました。

1回目は、悪性黒色腫。
これは早期発見と、発生部位が体幹部であったおかげで、表面に見える腫瘍塊の
3倍ほどもあった腫瘍根も完全に、かなり大きくマージンをとって切除 するこ
とができ、周囲組織への浸潤を残さず、遠隔への転移もなく、その時は、一般西
洋医学的には治ったことになりました。

2回目は、胃捻転。
注意出来ることはすべて注意していても、起きるときは起きるんだ、と、その時
思いました。
デュークの異状にすぐ気が付くことが出来るタイミングであったおかげで、即手
術することができ、この時も助かりました。

ここまでは、一般西洋医学上、治していると思っていました。(今ではもう、そ
うは考えませんが。)

でも3回目は、「決して治しているわけではない治療法(それなのに「治療」と
呼ぶ事実)」しかない病気が用意されていました。

しかし、そのおかげで、一般西洋医学そのものに対する疑問と気付きを得ること
が出来たのでした。


決して治してはいないんだ。

それなのに、「治療」という言葉を使っている。

治療って、何?

生きているって、どういうことかな。。。

いわゆる「QOL(クオリティ オブ ライフ)」という視点の大切さは当然のこ
とで、特筆することもないのですが、もっと、違う、「生きている、 というこ
とを大切にする、ということはどういうことかな?」とでも言えばいいでしょう
か。。。

QOLの視点は最低限必要です。

でも、足りない、それだけじゃ足りない。。。

生きている意味、生き方、の視点。
生き方を選択する権利。

何か違う、何かがあるはずだ。

何か、絶対に苦しめないもの、、、


生きている価値は時間の長さじゃない。

生き方なんだ、どのように生きるか、、、

生き方を選択するということ。。。


何かある、何かある、、、


ここから、一気に世界が変わっていくことになりました。


ずっとずっと、いつか伝えたいと思っていたことでもあります。
長くなると思われますので、今回は、ここまでで、自然療法への転換「その1:
転機編」として、一度区切ります。

では、つづく、ということで。。。

※この記事は、デューク自然療法クリニックのホームページと同時掲載のものです。


医薬品の個人輸入を輸入代理店にお願いする時の注意点 [獣医師向け]

久しぶりの更新ですね。
何となく毎日が超加速化してあっというまに過ぎていまいました。

今日は、薬の個人輸入について書きます。
個人輸入をしている方の参考になれば幸いです。
具体的には、以下を参照してください

動物薬
http://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/yakuzi/y_import/kakunin.html

人薬
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iyakuhin/kojinyunyu/index.html

これって結構面倒なんですよ。できれば、やりたくないです。。
でも、どーしても日本に無くて、それで動物たちを治療してあげたい場合には仕方ないのですよね。
どんな手順かというと。。。

1.海外のサイトで発注。

2.invoiceをメールで送ってもらう

3.税関から手続きのお知らせが届く。

4.薬監証明の手続きを厚生労働省または農林水産省に行う。(これが結構手間です。)

5.薬監証明が送られて来たら、それを税関に送る。

6.関税を支払い、薬剤が届く。(通常は同時進行)

こんな感じで手続きが必要です。
ここで時間がかかるのは、4~5の薬監証明の取得です。
提出するところにもよるのですが、人薬の場合(厚生労働省)は1~2週間ぐらい、動物薬の場合(農林水産省)は、早くて3週間、遅いと1か月以上かかることがあります。

ですから、緊急の場合にすぐに薬を手に入れるってのは無理なんですね。

ここでご自分ではなく、輸入代行業にお願いしている際には注意が必要です。
もし税関からの連絡が届いて、それを輸入代行に連絡して品物が2~3日で届いた場合は、その輸入代行は、薬艦証明を取得せずに薬としてではなくて、たとえば雑貨として税関を通している可能性があります。

薬監証明を取得するには、送り元のinvoiceと日本に到着した際に税関から届く通知番号がかかれた税関からのお知らせのコピーが必要なため、どんなに頑張っても1週間はかかります。
(動物薬であれば2週間以上は絶対にかかります)

invoiceは総輸入元や輸入代理店であれば、メーカーから前もって取得することは可能ですが、通知番号だけは日本に届いてからでなくては知ることができないのです。ですから、税関手続きのお知らせが届いてから、5日以内に品物が手元に届くには基本的に無理があります。3日以内であればまず薬事法違反の片棒を担がされている可能性があります。

これを確かめるには、税関からの連絡に通知番号がありますから、品物が届いたら、税関に通知番号を伝えどのような品名で税関を通過したかを確かめると良いでしょう。
もし、「農水省から許可を得てサプリメントなどと連絡があり雑貨として通関した」など税関に言われた場合は、その輸入代行は薬事法違反を起こしています。
「薬監証明が送られ医薬品として通関しました」と税関が言えば、その輸入代行は薬事法違反を起こしていません。

基本的に薬監証明には、獣医師のサインと印鑑が必要です。
法律違反を起こしていない輸入代行業者は、農水省や厚生労働省に提出するべき薬監証明の取得に必要な書類をメールなどで添付し購入者に送付し、サインや印鑑、税関からのお知らせ、獣医師免許のコピーなどを添えて代行業者に送り返すよう働きかけるのが通常です。

もし、税関からのお知らせのみをファックスなどで送るだけならば、その輸入代行は怪しいと考えた方が無難です。
十分注意しましょうね!




セミナー「ワンちゃんと築く、しあわせ時間のために」のご案内

2015年7月20日(月・祝)
しいのき迎賓館セミナールームにて、
セミナー「ワンちゃんと築く、しあわせ時間のために」を開催します。

これから、または、いつか、ワンちゃんを家族に迎えよう!とお考えの方には、
 ぜひ、その前に聞いてもらいたいことがあります。

すでにワンちゃんとの生活が始まっている方には、
 ・今抱えている困難さ、問題の、理解と解決への糸口になってもらえたら、と思うことがあります。
 ・十分に楽しく、幸せを満喫している方にも、もしかすると、ついつい見失ってしまっていることがある
  かもしれない大切なことを、折につけ思い出せるきっかけになるお話ができたらと思っています。
 ・今より、より深く、分かり合えるように。。。

ワンちゃんと暮らす予定は特に考えていない方にも、
 「へぇ~、ワンちゃんって、そうなの?!」とか、「ワンちゃんと暮らすってそういうことなんだ!」とか、
 楽しんで聞いていただけたらと思っています。


そして、ちょっと大げさな言い方をすると、

 「犬」という生き物と、私たち「人間」との関わり方、共生を通して、

  人間同士をも含む他者とのかかわり方、尊厳の尊重、

   そんなテーマにも思いを馳せる、そういう機会にもなるとうれしいです。


内容、参加費、お申込み、など、詳細は、コチラ

にゃんにゃん猫の日 [和み]

今日はにゃんにゃん猫の日。
素敵なお雛様を飾りました。

image-20150222083618.png



動物専用ターミナル [その他]


image-20150216041619.png

米国のJFケネディ空港に動物専用ターミナルができるそうです。
飼い主も動物も快適な空の旅を楽しめそうで素敵ですね。


メチャがくれた「あったかオレンジボール」 [その他]

メチャ、とは、今は亡き愛する次女(雑種猫、毛色だけはシャムそっくり、お顔はタヌキそっくり)の名前です。

メチャったら、それはそれはもうブチャイクでブチャイクで、おつむてんてんも弱くて弱くて、運動神経といったらそれはそれはもう「お前は本当に猫なのか?」っていうくらいドンクサ~くて、(あ、悪口じゃなくて愛おしい気持ちで言ってます)、そういう意味での宇宙トップクラスでした。

そのメチャが最期にすっごいことをやってのけたんです!


もう10年以上経ちます。

メチャはもうかなり老いていました。

老いを見守るのは苦しいものです。
胸がつぶれる思い、です。

成長は日々進化、昨日できなかったことが今日は出来る、を更新し続ける。
若いエネルギーに満ち満ちて。。。

でも、老いは、まったくその逆をたどっていく。

昨日まで出来たことが今日は出来ない。
エネルギーが日に日にしぼんでいく。。。

メチャは検査してもどこも悪くありませんでした。
ただ、老いをたどっていたのです。

どこか悪いのなら、出来るだけの治療をしたいところですが、これは老いなのです。
私にできることは、メチャができなくなっていって困っていることがあればサポートすることです。

だんだん体を動かすことも困難になってきました。
でも、できる限り、自分の要求は自分でしたい、と彼女は考えていました。
そう、そのころ、私は、彼女の思いを全てわかってあげることができました。

メチャは、老いと共に威厳を増していました。

お水が飲みたい、と思っても、そこまで行くのが容易ではない。けれど、ここで寝たままお水を飲ませてもらいたいわけじゃない、自分でそこに行って飲みたいの、と思っているのが分かるので、彼女のプライドを傷つけないよう、そっと支えて、お水を飲むところまで歩いていくのをサポートして、飲む体勢を支え、飲みやすいように食器の高さと角度を支えて、可能な限り、本人的自立をサポートしました。

やがて、もう食べないと宣言しました。

それを受け入れるのは勇気が要りました。

でも、メチャは威厳をもって、気高く、無言で私に宣言するのでした。

お水はまだ飲み続けてくれました。
だから、要らないご飯は強制せず、お水飲みのサポートと、トイレに行っておしっこするお手伝いをつづけました。

そうして、ついに、もうお水も要らないと宣言しました。

うちは動物病院です。
我々夫婦は獣医師です。
中心静脈にカテーテルをいれれば、水分や電解質やビタミンや脂質の補給に留まった一般的な点滴のレベルを超えた生存に必要な高カロリー輸液の点滴ができる知識と技術と機材があります。

でも、それをしていいのか?

これは老い、なのだ。

ゆっくりゆっくり、でも確実に、最期を目指して歩んでいるのだ。

病気ではない。

必要な治療は何一つ無い。


邪魔はしないでおこうね、と、私たちは決めたはずだ。


大好きなお父さんのベッドの上で、横になったままのメチャ。
何にも要らないって言うメチャ。

もう手伝えることもなくなってしまった。

しかし、一切の手伝いを不要と宣言した後、彼女に偉大な変化が起きました。

色々と出来ることを失っていく過程では、メチャ自身一生懸命であっための険しい表情も見受けられたのですが、メチャ自身が全てを手放して、私たちもそれを受け入れたとき、メチャの表情はこの上もなく柔和になり、幸福に満ち満ちて輝き、骨と皮だけになってゴツゴツと硬く感じられていた身体が柔らかく、被毛もふわふわになり、大好きなお父さんのベッドの上で、さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて、ゴロ~ンとまん丸になって、気持ちよさそうに、うれしそうに、しあわせそうに、何の苦しみもない様子でまどろんでいるのです。見ている私たちまでもが幸せな気持ちになり、思わず微笑んでいました。

そして、心底思いました。
ああ、邪魔しなくて良かった...と。

なんて幸せな気持ちなんだろう。
私たちは微笑み続け、目からは、幸福の涙があふれていきました。

そんな幸福な時が二日続いた後。。。

午後の診察のために、いつものように「メチャ、行ってくるね。」と、気持ちよさそうにしているメチャにキスをして、1階の病院に下りていきました。

診察が終わり、一足先に夫が2階に上がりました。
すぐに音を立てて駆け下りてきました。
その形相を見て、何が起きたのか察知して、私も急いで駆け上がりました。

「行ってくるね。」のキスをした時とおんなじまんまで、その時と全く変わらない姿勢と表情のまま、メチャの生命機能は停止していました。

駆け寄って、「メチャ」と声をかけた時、全く予想も期待もしていないことが起きました。
私の胸の中にあったか~いオレンジ色の大きな(バスケットボールくらいの大きさの)ボールが飛び込んできて、胸の中心からあったか~いものが広がり、満ちていき、この上もなく幸せな気持ちがあふれてきたのです。

え?

意外でした。

カムイが亡くなった時に味わった、壮絶な、想像を絶する痛みに打ちのめされる覚悟でいたのですが、いや、正確に正直に言えば、覚悟はできておらず、恐れていたのですが。。。

驚きました。

ありがとう!メチャ!

痛くない別れ(死別)もあるんだね!

幸せだったもんね!本当に本当に。。。


「メチャがくれた、あったかオレンジボール」、私はそう呼んでいます。


私は、カムイを失った後、残る3人(3匹)の子供たちとのいずれ来る別れに対して、とてつもない恐れを抱いていました。
それは、死が怖いのではなく、そう、死は約束の時でしかないとカムイが教えてくれたので、死自体をマイナスにはとらえていないのですが、怖かったのは、愛する者との死別、愛する者が実際に目で見て手で触れられて言葉を交わすことが出来る状態ではなくなってしまうこと、もうこの目で見ることもこの手で触れることもできなくなってしまうその事実が与える衝撃と痛みと空虚さ、あの壮絶で想像を絶する苦しみを、少なくともあと3回は経験しなければならないのか?という、利己的な身勝手な恐怖でした。

それを、メチャが払拭してくれました。

そうなのか、、、痛くない死別もあるんだ。

いかに、死に向かうか。

死までの過程。

どのように死を迎えるのか。

どのように過ごすか。

いかに生きるか。

こわくないんだよ、死別も... そうメチャが教えてくれました。

メチャが教えてくれたことは、病気ではない老化だけに当てはまるものではありません。

いつ、どのように、最期の別れを迎えることになろうとも、それまでの間を、いかに共に生きるか、本当に大切にするべきことは何なのか、この一瞬は2度と来ないということを肝に銘じて、共に生きる幸せの一瞬一瞬を脳裏に焼き付けて過ごす時、時間の密度が増し、輝き出すのを感じます。

実際、その後デュークとラフィーとの最期へと向かう日々は、恐れずに、いかに「今、この時」を大切に生きるか、今一緒に暮らせる幸せを満喫すること、に集中し、後悔のない、凝縮した光に満ちた日々を過ごすことが出来ました。


カムイとメチャが教えてくれたこと、きっと、多くの人を救うと信じて、これを伝えたいと思いました。

この記事を読んで下さった方で、一つ前の記事≪カムイが教えてくれたこと...「約束の時」≫をまだお読みでない方は、ぜひ、そちらもお読みください。
(この文章は、ヒーリングスペースカムイ及びデューク自然療法クリニックのHPとブログに同時掲載しました。)

カムイが教えてくれたこと...「約束の時」 [その他]

ヒーリングスペース カムイ」の、「カムイ」とは、愛する亡き長女(茶トラの雑種猫)の名前です。
デューク自然療法クリニックのHPのはじめのフラッシュに登場している子です。

彼女が魂の故郷に帰っていったのは、20年近く前のことです。

当時は、まだ一般西洋医学の視点で治療に励んでいたころです。常に、最新、最先端を追い目指していました。

カムイにも、最新と最善をもって、全身全霊で治療していました。

勤務先の病院で入院治療をしていたカムイ、晴れて退院、というその日が来るのを信じて、いや正確には信じたくて、退院の時に連れて帰るための素敵なバスケットや、退院祝いのための可愛い首輪を探しまわりました。当時はネットで探して購入という時代では無かったので、休みの日に遠くまで足を運んで探しに行き、ようやく心から納得できる素敵なバスケットを見つけ、首輪は可愛すぎて一つに絞り切れず三つも買って、、、

今思うと、いや、当時も薄々感じてはいたのですが、くじけず希望をもって治療に取り組み続けられるように、と、自分を奮い立たせていたのだと思います。

しかし、生きて家に連れて帰ることはできませんでした。


カムイが死んでしまった。。。

どうして?

なぜ?


医学的な死因は答えにはなりません。


どうして? なぜ? なぜ今死ななきゃいけないの? 

どうすれば良かったの?


なぜ? なぜ? なぜ?


何か月も何か月も、ずっとずっと、自問自答を繰り返していました。

どの時点で、何をどうしていれば、この死はさけられたのだろうか?と時間を遡って、どんどん遡って、ずっとずっと、考え続けていました。(治療法の選択という意味ではありません。)


そして、半年以上は経った、ある日。


いつものように、夜遅く仕事から帰り、二人の子供(バーニーズマウンテンドックのデュークとシベリアンハスキーのラフィー)の散歩に出かけました。
今でも鮮明に覚えていますが、月明かり、という言葉が自然に浮かんでくる、とっても月が明るくきれいな夜でした。夜更けの静かな住宅街を、デュークとラフィーとともに、月明かりに照らされて歩いていました。散歩しながらも頭の中は、記憶を遡らせ、「あの時こうすれば良かったのか?あの時ああすれば良かったのか?」と考え続けていました。
そしてどんどん時間を遡って検証していくうちに、そもそもの事の発端になったのは、、、
入院治療が必要な事態になったのは、、、

、、、いつもと違うところに椅子を置いていたためだった、、、というところに行き当たったのでした。

これを読んでいるだけでは経緯詳細が不明で、なんだかサッパリわからない、と思われるかもしれませんが、大事なのは経緯詳細ではなく、この、「いつもと違うところに椅子を置いていただけ」ということが事の発端になっていた、ということに気付いて、このことに気付いたその時、「それは、もう予想もできなかったし、回避は不可能だった」と悟ったことなのです。
「これは回避不可能なことだったんだ。。。」
その時、天から何かが落ちてきて、頭を突き抜け、胸にストンと、まるで失くしていたパズルのピースがピタリとはまるように、「約束の時が来たんだ。」と理解したのでした。
カムイは、天からこの世にやってくる時に、再び戻っていくまでの時間を天に約束してきていて、「その約束の時が来ていたんだ。しかも、その約束の時は実はもうかなり過ぎていて、延長に延長を重ねて、私の傍にいてくれたんだね。でももう帰らなければいけなかったんだね。この世から天に戻るには、死という手段をとるしかないんだもんね。。。ありがとう、こんなに長く、一緒にいてくれて。ありがとう、ずっと愛してくれて。。。」

カムイは、自らの死を通して、全ての死における普遍的答えを教えてくれました。

私は、獣医師という仕事柄、実に沢山の死にも立ち会います。
その中には、誰から見ても幸せな大往生と思える死もありますが、あまりに理不尽と思うような死もたくさんあります。なぜ?どうしてこの子がこんなに早く死ななきゃいけないの?飼い主さんも良い人で落ち度もなく何も悪くなく、この子も何にも悪くないのに、なぜそういう運命なの?納得いかない!と思う時もいっぱいありました。
その答えも、カムイがくれました。
ただ、約束の時が来ただけなのだ、と。
どんなに短くても、それは、元々天に帰る約束をしてきた時間なのだ、と。
そして、天に帰るための、通り道として死があり、死ぬための現象が必要で、そのために起きた事象なのだ、と。
我々は、その約束の時を前もって知ることを許されてはいないので、「普通なら」と想定する時間よりも短い一生だったりすると、そしてそれが短ければ短いほど、理不尽に思え、不幸に思えたり、何か非があったのではないかと自分を責めたりするけれど、実はその時間は、すでにこの世にやってくる前に天と約束してきた時間で、どちらかというとどんなに短く思えても、大抵の場合約束の時間を延長してできる限り長く一緒にいてくれていたのです。
ということが、純粋に、自然に、確信として私の中に芽生えたのでした。

そして、その約束の時間の間をどこでどう生きるかは、最も楽しんで生きられるところだったり、あるいは最も救おうと思うところだったり、あるいは何かを教えようとしてだったり、その魂の目的と力を携えて、選んだところにきてくれている、ということも同時に確信しました。

このことを伝えたい。。。

機会あって、直接お伝えできた方々もいらっしゃいます。

きっと、もっと、この普遍の真理を知ることで救われる人はいっぱいいるだろうと思います。

「約束の時」の理解が誰かを救えるかもしれません。

その時は、どうぞ、この真理を優しく伝えてあげてください。

(この文章は、ヒーリングスペースカムイおよびデューク自然療法クリニックのHPとブログに同時掲載しております。)

新年、あけましておめでとうございます。 [和み]

って、もう1月も半ばを過ぎました。
今年もよろしくお願いします。

さて、ここ最近午年にちなんで、こんなYOUTUBEで和んでます。
http://www.youtube.com/user/three/theponymixer

懐かしいな~。Fleetwood MacのEverywhereですよ。(遠い目)
でも、ポニーってこんなに足短かったっけ??
ま、CG丸出しのダンスですがメチャかわいいよね。

では。

新しいメニュー [代替医療]

お久しぶりですね。
色々とワクワクするような、検査法や治療法に夢中になってました。
11月から、新たな治療法を追加できそうです。
結構、怪しそうな機械を使うので、理解できる患者さんにしか使いません。
巷では、結構有名な先生が考案した機械です。
自分の腰痛に使いましたが、30分で痛みがなくなりました。
すげ~な。これ。
 新しいメニューは現在考案中。

3.11 愛は壮大 [アニマルコミュニケーション]

この記事は、デューク自然療法クリニックwww.duke1998.jpとヒーリングスペースカムイhttp://ameblo.jp/healing-space-kamui/のHPから転載したものです。

ナッツ君が教えてくれたこと

3.11・・・・あの日多くの命亡くなりました。
そのひとりに、ミニチュアダックスの男の子、ナッツ君(当時12歳目前)がいました。
ナッツ君のお母さんからお聞きしたこと、頂いたお手紙やメモから、お役に立てるべく、形にしました。ナッツ君のお母さんから託されてから、かなりの日数をへてしまったのは、私なりの思いを込めつつ、正確に、かつ、十分にお伝えしようとすると、なかなかうまくまとめられなかったためです。何とか今日、2013年3月11日、ここにUPすることがきました。
全ての魂が、どうぞ光に導かれますように。。。

2011年3月11日の岩手
いつものように、ナッツ君は大好きなぬいぐるみとお留守番、お母さんは職場の動物病院へと出勤しました。
それが最後になるとは、誰も予想などできませんでした。

そして、大地震、大津波が起きました。

津波はナッツ君のおうちを呑み込み、そのあとには、住宅の基礎コンクリート部分が残るだけで、その他一切が消えてしまいました。建物も、ナッツ君も、手がかりすら、何も無く、、、

全てを失った衝撃と悲しみは、想像を絶するものだと推察しますが、お母さんは気丈に、助かった子達のお世話を続けます。(お母さんは、動物病院の看護師さんです。)

何カ月かの後、お母さんは岩手を離れることになりました。

その後、当時の病院スタッフ同士の絆から、その年の11月に石川県金沢市で開催されたローレン・マッコール先生の講演と個人セッションを受ける縁にいたりました。

その時の、ローレン・マッコール先生によるアニマルコミュニケーションを通して、ナッツ君はとても興味深いことをお話ししてくれました。

お母さんはまずナッツ君に謝りました。
「ナッツひとりで恐く苦しい思いをさせてごめんね。」

ナッツ君:「あやまらないで。誰も悪くない。」

お母さん:「お母さんはもちろん、みんなも、ナッツと別れてとても寂しいよ。」

ナッツ君:「ボクも寂しいよ。突然終わって残念!!
       とてつもない事が突然おきて、アッという間もなく、という出来事だから、しかたがない。
       でも、大地に裏切られた怒りを感じるよ。」

ナッツ君は、お散歩やお外に出るのが嫌いな子でした。そのナッツ君が、なぜか震災の前日は、外に居たがり、家に入ってからも、外に出よう出よう、としていたのを、その時は不思議に思っていたけれど、翌日震災の津波で家ごと流されてしまったあとになると、あの行動は、地震や津波がくることが分かっていて、「外に出よう。逃げよう。」と教えてくれていたんじゃないかと思い、聞きました。

ナッツ君:「何かとんでもないことが起こり、自分達の命が失われることは、3日前から分かっていたよ。
       外に出る行動をとったのは、他の仲間にその事をテレパシーで送っていたからさ。」

お母さん:「お母さんはとてもナッツが大好きだし愛していたよ。いつも一人でいることが多くてごめん
       ね。ナッツの好きなものと嫌いな物を教えて。」

ナッツ君:「ボクもお母さんが大好きだよ。一番うれしいのは、仕事から帰ったお母さんを出迎える瞬間
       さ。
       嫌いなことは、風と病院!!(この嫌いなことは、生前十分にお母さんは認識していました。
       お母さんくらいしか知り得ないことだったのですが、実際風が大嫌いで、少しでも歩くのを嫌
       がり、すぐ抱っこ!だったそうです。)

お母さん:「ナッツは散歩や他の犬ちゃんが苦手だったよね。」

ナッツ君:「ボクは、他の犬(仲間)が考えていることが、ダイレクトに伝わってきてしまうので、いろんな
       思いを感じすぎて具合が悪くなるので、散歩や他の犬も苦手だった。」

この答えを聞いて、お母さんは、散歩や他の犬との交流を無理強いしなくて良かった、これはナッツの個性なのだ、と理解することにしたのは正解だったと、心底思われたことを、私に話してくださいました。
散歩や他の犬が苦手なのを、訓練やトレーニングで修正すべきなのか悩んだ日々があったそうです。
しかし、そういう視点は、まさしく人間からの価値観の押しつけでしかないことも有り得ることを、ナッツ君は教えてくれました。

さて、今はどうしているのかと思い、
「そちらの世界では他の犬ちゃんと仲良しでいるの?ロビーやラッキーに会ったの?」

すると、
「それどころじゃない、忙しいんだ」という答えが返ってきました。

ナッツ君の説明によると、震災で亡くなった多くの魂が故郷(動物達は魂の帰るところをこう呼びます)に帰れないで迷っているらしく、その迷っている魂たちをひとつにまとめて、故郷に導く作業するをナッツ君はしているのだそうです。

ナッツ君いわく、
「パトロール隊ってところかな!!
お母さんも動物病院で病気の子の世話をしていたから、ボクもお母さんも、お互いそれぞれの世界で同じことをしていたって感じかなあ」

お母さん:「ナッツを愛してくれた皆に伝えたいことは何?」

ナッツ君:「ボクを愛してくれたみんなとお別れして、ボクもとても寂しいよ。
       でも、地球も生き物だから、異常なことが正常に戻ろうとする時は、この様に大きな変化を
       起こすんだ。
       だからといって、恐れないで自然に身をまかせていればいいのさ。
       本当に大切なのは愛。
       愛は壮大。
       このことを伝えてほしいな。」


ナッツ君、ありがとう!!!
  
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